摘录

琐事

芥川龙之介

因为使人生幸福,不可不爱日常的琐事,云的光,竹的战栗,雀群的声音,行人的容貌——在所有的日常琐事之中,感着无上的甘露味。

因为要使人生幸福么?——可是爱琐事便不能不为琐事而苦痛。跃进庭前古池中的蛙,破了百年的愁吧!然而跃出了古池的蛙,将给与百年的愁也未可知。不,芭蕉的一生,是享乐的一生,同时在谁的眼中,也是受苦的一生。我们为要微妙地去悦乐,又不能不微妙地去吃苦。

因为使人幸福,不能不为日常的琐事所苦。云的光,竹的战栗,雀群的声音,行人的容貌,在所有的日常琐事之中,不能不感着堕地狱的苦痛。

芥川龙之介《侏儒的话》


瑣事(さじ)

人生じんせいを幸福こうふくにする為ためには、日常にちじょうの瑣事さじを愛あいさなければならぬ。雲くもの光ひかり、竹たけの戦そよぎ、群雀むらすずめの声こえ、行人こうじんの顔かお――あらゆる日常にちじょうの瑣事さじの中なかに無上むじょうの甘露味かんろみを感かんじなければならぬ。

人生じんせいを幸福こうふくにする為ためには?――しかし瑣事さじを愛あいするものは瑣事さじの為ために苦くるしまなければならぬ。庭前ていぜんの古池ふるいけに飛とびこんだ蛙かわずは百年ひゃくねんの愁うれいを破やぶったであろう。が、古池ふるいけを飛とび出だした蛙かわずは百年ひゃくねんの愁うれいを与あたえたかも知しれない。いや、芭蕉ばしょうの一生いっしょうは享楽きょうらくの一生いっしょうであると共ともに、誰だれの目めにも受苦じゅくの一生いっしょうである。我我われわれも微妙びみょうに楽たのしむ為ためには、やはり又また微妙びみょうに苦くるしまなければならぬ。

人生じんせいを幸福こうふくにする為ためには、日常にちじょうの瑣事さじに苦くるしまなければならぬ。雲くもの光ひかり、竹たけの戦そよぎ、群雀むらすずめの声こえ、行人こうじんの顔かお――あらゆる日常にちじょうの瑣事さじの中なかに堕地獄だじごくの苦痛くつうを感かんじなければならぬ。

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